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「いやー、日本の教育で本当によかった」
このように言っている人は少なくとも30年間生きてきて一度も会ったことがない。
そして、今後言える日がくるのであろうか。と個人的に思い、将来が不安になっています。
この流れの遅い日本においてまずこの5年間はそのような大きな変化はなく、おきるすればまず道州制が導入され、教育に関しても各州に任され、競争することで徐々に改善され、起こっていくだろうと個人的には思っています。
教育に完璧はない
あることを「学ぶ」ということに時間を費やした時点で、他の物事を「学ぶ」機会損失をしていると言える。
あるがままのことをあるがままに見ることができるのは個人差があるとはいえ、おおよそ25歳くらいまでと脳科学的にも言われている。その人生の限られた時間においてなにを取捨選択するのかという点は非常に興味深く、今後も争点となってくるであろう。
もし、個々人において最適の教育を導入するということになると、おおよそ今ある「義務教育」「大学教育」というものは今後なくなっていくように思います。
まず前提として道州制であるということがスタートにはなってはしまいますが、地方に最良、法律、学習内容などを決めることができることで、例えば「うどん州かつ伝統工芸州」、「ラーメン州かつ自動車州」「IT州」「ロケット州」など特化した地域別特色を出すことで人を集め、その土地に最適化された教育、企業、給与があると、日本のように小さい国であればあるほど、近隣で州ごとの競争というのは非常に良い形でアメリカ以上に働くと思います。
それにより、優秀な人材が働く環境なども整えられ、それぞれが特色を出すことで観光地としてもさらなる進化をとげ、日本という国の土地のメリットが最大化されるように思います。
そのような形で自由化した教育となれば、今まで以上な自由な社会が作れるようになり、国力はGDPは確実にあがります。
うまくやっている他の国の例は?
教育の上で日本がまだ十分に行えていないことは、海外からパクる、ということが大事です。
例えば日本の一部の教育者はフィンランドでIT教育が義務教育されたことを知っています。しかしパクろうとしません。「フィンランドは人口540万人くらいだからできるんだ」というのであれば、その規模の意思決定でできるよう道州制にすればいいのです。
もし今のすべてのカリキュラムを再度見直し、構築のハードルが高すぎるのであれば、義務教育の枠を減らし、その枠に各地域ごとのカリキュラムを入れること自体は数年以内に実行は可能である。
またなぜフィンランドという国がプログラミングを義務化、全員がネイティブレベルに英語が話せるか、もう少し情報を取りにいけばわかることなのです。
フィンランドやデンマークは教育がいいから。税金高いからできるんだよ。と思われるかも知れませんが、日本だって、国会や政府の無駄をなくすだけで税収を増やさずとも大きく国民の生活を変えることができます。
なぜ変わらないか
私個人は受験勉強、国家試験の勉強というものが影響しているように思います。
まず多くの中学生高校生が受験勉強に時間をとられます。それ自体に関してはあまり将来的な付加価値を生むために大きく影響しないにもかかわらず、それにより判断される社会構造ができあがっているため、やらざるを得ない、これも無駄のひとつです。
国家試験というもの、これをクリアしたエリートでないと官僚になれない。
だから国がバランスを失った意思決定、選ばれた人と思い勘違いをする人たちが自分の身を守るため、なるべく変えないようにあまり社会的な意味のない部分に注力をし、とりあえず、ある「意味のないやらなければいけないことに取組む、努力する姿勢」が染み付いているのです。
企業においても組織においても実は一番の見えない損害は「さぼってなにもやらない」ことではなく
「相対的に価値が低いもの」 or 「価値がないこと」 or 「マイナスの価値を生むこと」
をしている人たちがいることなのです。
その人がその作業に取組んでいる際にそれを達成するまで、一定の割合で人件費と機会ロスが生まれ続けます。
そしてその人たちは本当に価値が高いことも「途中で投げ出すわけにはいかない」とさらに機会ロスを広げるというマイナスな価値を多く生み出すのです。
逆に「なにもしていない人」の方がすぐにでも他のことに取組むことができるため、
すぐに別のことをして柔軟に対応、価値を生むことができる可能性があるため、
そのような人が数人いるほうが、価値のないことし続ける人よりもいいのです。
どうでもいいことにひたすらと時間をとられる人はそれで忙殺され、無駄に人件費を食うだけでなく、仕事のクオリティの低下、メンタルなどの病気のリスクも多くかかえ最終的に大きなコストとなっているのです。
北欧以外にも近場に良い例もあります
教育という点において、北欧以外にも実際に盗める、パクれるところは中国からもあります。
受験戦争が盛んな国といったら、今は中国、韓国そしてインドといっていいのではないでしょうか。
大学が学歴があるかないかで就ける職、給与が決まってくるため、家族一丸となり、受験を応援する、
ある意味できあがっている構図です。
人口が増えすぎてしまったところは確率論的に、厳しい競争に勝ち抜いた人のほうが、
大きな成果をあげる可能性が高く、採用などの効率化を考えるとその方法が一番ということで、そういった形式をとっています。
日本は現在その過程は過ぎ、今後は大学が差別化をして魅力を打ち出していかないと学生を集めることが難しい時代が到来します。すでに到来し始めています。
海外において有名大学が人気な理由はただブランド力があるからという表面的なものだけではありません。実際に入ったのちもはるかに鍛えられるので、そういった学生の需要が大きいのです。
日本の大学はどうか
私は理系出身であったため、個人的に勉強していたこともあわせると、受験勉強よりも入学してからの方がたくさん勉強したタイプです。(偏差値60以上の大学でも)
しかし、その学んだことを実際に職務に生かすとなると時間がかかりました。
その理由は日本の大学がリアルのビジネスと乖離しているからです。そして、学生がリアルなビジネスを体験できる機会があまりに少ないからです。
海外はどうかというと、半年のインターンを義務化している国が非常に多いです。そしてそのインターンを2社以上、場合によっては海外と国内と両方で経験させる大学も多いのです。
学生の時点ですでに数社で働いたことがある学生と、新入社員になって研修を受けて、その後始めて社会人経験を積む日本人。
大学卒業時点でなにができるか、問われた際に、即戦力の人材が欲しいという企業に、日本の大学を卒業した人材が欲しいという会社は皆無でしょう。今後、海外の人材が次々と日本に入ってくると考えると、日本人は危機感を持つべきです。
他にも危機感を持つべき点
さらに大学などの教育以前に、豊かな国のひとつでありながら、
日本は教育という重要な投資項目に関し、OECD諸国で6年連続最下位です。
参考:http://www.yomiuri.co.jp/national/20151125-OYT1T50023.html
日本は将来の世代が一番「つけ」がまわってくるような構造にしておきながら、
その将来、未来に対して十分な投資をしていないのです。
今、発展したのは団塊の世代のおかげでしょう。
今の発展を支えた団塊の世代がいた頃から変わらない?
団塊の世代とは
団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。 焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。
参照:Wikipedia
団塊の世代はなにもない状態から、一気に世界のトップまでのぼりつめるのに一躍かった世代です。
その世代が活躍できた背景は
「若手に任せる」
「若手に投資をする」
という選択をしていたからです。
実は上の世代がそもそも数が少なく、発展するためにはそれ以外の選択がなかったこと、がんばればがんばっただけ収入が増えていたという背景はありますが、事実です。
自分たちがしてもらったことを将来にせず、自分たちを守るために税金を使っているのです。
現在税金の使用用途は子供に使われるお金は、60歳以上に使われる額の比になりません。
また一部の人の努力で子供のためにお金をということでなんとか決まったことが、子供ひとりに3000円のお金を分配するということ。そしてそのために200億円の事務費用をかけているのです。
このプロセスには時間がかかっておきながら、「年金額の少ないお年寄りに3万円給付」というのはあっさり決まったりします。これは選挙の人気取りのせいです。
言ったらなんですけど、日本は結構ばかです。
それをなんとかしなければならない。そう、人が悪いんじゃないんです。
教育が悪いんです。
反面教師も取り入れながら、日本のお得意のパクりからの独自の高いレベルへの発展、を教育の点でもやっていけたらな、と思っています。